マンダラオーケストラ

すべてさざ波へ

何のための活動か

 

当活動のパーパスと言いますか、志のようなものをあげるとするならば、マンダラオーケストラという音遊びを通じて、人と人が繋がる場を創造し、一人ひとりの心からの表現を尊重し合い、共鳴体験を作り上げること。皆で共同体感覚を思い出し、社会全体に喜びや幸福を増やしていくことです。

 

 

 

【みんなのためのもの】

マンダラオーケストラは「一人のカリスマアーティストに多くの人々が傾倒する」というような大衆のための音楽ではなく、誰でも自由に参加できる市民のためのコモンズです。一人ひとりが生まれた時から光り輝く表現者であり、各々が心からの喜びや楽しさを自発的に表現していきます。自由な表現を通して自分以外の人々と出会い繋がる場です。そして他の表現者たちの存在を尊重し、互いに調和し共鳴する音あそびです。誰と誰の間にも隔たりも差もありません。自分が持っている個性を認め、心の内側から出てくるものを表現し、互いの多様性をあるがまま受け入れ合います。

 

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メンバー募集

 

マンダラオーケストラを一緒にやってみたい方、やってほしい方など募集中♪

 

 

こんな方に最適

・音楽が好き

・新しい表現に興味がある

・人とつながりたい

・楽しいことでボランティアしてみたい

・共鳴体験をしたい

・一緒にやってみたい

 

 

気軽に集まって、そして抜けたくなったら気軽に抜けられる、そんな緩い感じでも大丈夫です。強制は一切なく、心の内側から沸き起こる「楽しみ」、「好奇心」、「ワクワク」等といった自然発生的な動機で人々が集り、何かを行うことがとても大切なことと思います。

 

お気軽にこちらまでお問い合わせください。

 

 

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活動ログ

活動記録など

 

2022年8月ごろ。知り合いのシェアハウスにて。まだマンダラオーケストラのアイデアが出たばかりで「皆で輪になって演奏する」という構成に至っていないころ。この後、少しずつアイデアがどんどん磨かれ削られ、具体的になっていきます。

 

2022年11月。知り合いの子ども食堂にて。小さな打楽器を用意してもらい、後ろにはピアノ伴奏の即興を行ってもらいました。実際に体験をすることで「遊び方のルール」が少しずつ出来上がってきました。

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マンダラオーケストラ

個の分断が進む社会の中で新たに必要なことは、バラバラになった個を再び繋げ、調和したり共鳴し合う機会や場を創ること。分断が進む社会の中で、個を再び統合するための新しい取り組みが様々な分野で始まっています。マンダラオーケストラは音楽という分野から人々を繋げ、関係性に新たな命を吹き込む実験(あそび)です。 次→ マンダラオーケストラとは



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マンダラオーケストラとは

 

今この瞬間につながり共鳴し合う遊び

 

古代インドのサンスクリット語で「मण्डल(丸い)」などの意味を持つ「マンダラ」。

それはのちにチベット密教の経典などにおいて、曼荼羅(マンダラ)となり、菩薩や如来が円形の陣を作るような形の絵や図のように表現されました。現代でも花びらや植物をモチーフとしたデザインとして使われることもあります。



 

 

「オーケストラ」とは、クラシックなどの西洋音楽において楽曲を演奏する目的で編成された団体を意味します。

 

 

 

「マンダラ」と「オーケストラ」

 

 

全く異なる2つ文化から生まれた言葉を組み合わせて「マンダラオーケストラ」という言葉を創りました。それは音楽を使った新しい遊び。

 

 

マンダラオーケストラの目的

大人も子どもも、音楽のプロも素人も、言葉が通じない外国の人でも、初めて会う全く知らない人同士でも、演奏を通して誰もが今この瞬間につながること。自らが主体的な表現者となり、また他者の表現も尊重して調和すること。各自の演奏を通し、喜び楽しめるような「共鳴する場」を創り「共同体感覚」を体験すること。

 

 

西洋音楽との違い

実は、私たちが普段の生活の中で耳にする音楽のほとんどが西洋音楽のルールによって作られているものばかりです。それも「17世紀から20世紀ごろまで」というごく短い間に、ヨーロッパを中心に発展した音楽が基本となっているものが大半を占めています。今や西洋音楽のルールは世界中に広まりました。

 

 

西洋音楽のスタイルにおいて、1つの共通のルールが適用されています。それは「演奏者」と「観客」という2つの概念があるということです。あるいは演奏するための「ステージ」とそれを見るための「客席」という2対の構造で成り立っています。



 

「オーケストラ」と「聴衆」

「バンド」と「聴衆」

「DJ」と「聴衆」

 

 

 

世界は常に2つに分かれています。

 

 

一方、マンダラオーケストラではこの2つの世界の境目をなくしてしまいます。

 

 

 

自分と相手

主体と客体

 

 

 

マンダラオーケストラでは誰もが作曲家であり、演奏者であり、また同時にお互いの音を聞き合う聴衆です。自分という存在を説明していた役割があいまいになります。そしてそのあいまいな状態をあるがままに受け入れ、今この瞬間に即興の音楽が表現され続けていきます。

 

 

 

こうして2つに分断された世界は再び溶け合い、個と個の境目がぼやけていきます。あるいは始めから個というものは存在せず、この現象世界にはただ音という「さざ波」(振動数)の違いが存在しているだけ、という本来の姿が現れます。

 

 

本来の姿とは今この瞬間への気づきです。そして今この瞬間への気づきが連続すれば1つの流れができます。それが音(さざ波)です。音を通して絶えず気づき続けるということ。そのためには音を体で感じ続けます。これは一人でも行えますが2人以上の人間が集まり音を体感するとき、そこには共鳴する場が生まれます。

 

 

マンダラオーケストラの目的は型通りの音楽を上手に正しく演奏する事ではありません。2人以上の人の間に偶然生まれる音の連なりの中から共鳴を体験することです。そして最終的には共鳴を発展させ、共同体感覚を養うことにあります。

(調和しあうノードたちがバックミンスターフラーレン体を形成)

 

 

具体的な構成

 

1.

まずはじめに一人の人間が座ります。あるいは立ちます。この人は指揮者のような、あるいはDJのような役割です。そしてまた同時にみんな音を聞く聴衆の一人です。



 

2.

そしてまわりを取り囲むように人々が円を作ります。周りの人々は作曲家で演奏者で、そしてまた同時に、他の人々の音を聞く聴衆の一人ひとりです。



 

この円は小さくてもいいし大きくても構いません。人が増えれば2重、3重の円になることもあるでしょう。

 

 

遊び方

1.

まず指揮者がテンポを刻み、皆がそれに合わせます。

 

 

2.

指揮者が一人、また一人へと指示を出し、出された人は自由に音を表現していきます。

 

 

3.

あとはその場の雰囲気に調和し、半分は指揮者の指示に沿い、もう半分は自分の内側から出てくる自由な表現に身を任せます。

 

 

特に決まった規則はありませんが1つだけ約束事があります。それは「テンポを守る」ということ。

 

 

これが欠けてしまうと「音楽らしさ」がなくなってしまうからです。

 

 

それ以外は自由です。各自が自由に音を出し自由にリズムを作ります。皆がそれぞれ、その場で作曲し、演奏し、表現し、お互いの音を聞き合います。

 

<作曲家 / 演奏者 / 聴衆> という境目があいまいになります。それはまるで自分も他者もすべての実態が溶けてなくなる般若心経のような世界観。

 

 

それはとても楽しい瞬間です。

 

 

ただし最低限音楽として調和のとれた状態を維持するために、指揮者がときどき指示をすることがありますが、それ以外は各自が自由に音やリズムを創造し表現ていきます。

 

 

理想形はドーナツ型

もし参加している人々の間に深い調和が生まれれば、最終的には指揮者の役割は不要になります。すると指揮者は円の中央から抜け出し、穴の開いたドーナツのような形になります。



 

 

中央からの指示がいない現象は演奏慣れしているミュージシャン同士ではよくあることです。お互いに合図を送り合うことで、特に指揮者的な役割がなくても勝手にどんどん曲が発展していくことがあります。まるで「あうんの呼吸」のように次に何をするかがお互いにわかっている状態です。

 

 

マンダラオーケストラにおいては「上手に正しく演奏する」ということが目的ではないので、不協和な不快な音が出ても問題はありません。自然本来の状態においては、そもそも正しい音や間違った音という概念は存在せず、また「こうしなければならない」という基準もありません。学校教育では西洋音楽の「これが正しい」という基準がありますが、「それに合わせなくては」という思い込みから抜け出しても良いのです。

 

 

大切なのは皆がその場を楽しみ全体と調和することです。調和をするということは、心の内側から自己表現をすることと、自分を抑えて全体の音を聞き他者の表現を尊重することの2つのバランスが取れている状態のことを言います。

 

 

指揮者不在のドーナツ型マンダラはまるで大空を飛ぶ「烏合の集」です。規律も統率もないのに、先頭の鳥が西へ飛べば皆が合わせて西へ飛び、また別の鳥が東へ飛べば、今度は皆が合わせて東へ飛びます。

 

 

そのような演奏は自由度の高いものとなります。それは規律、規則、条件に沿って行われているのではなく、ただ純粋に「楽しいから」という理由で自発的に表現されていきます。それでいて一定の調和を保てている自律分散型の組織のようです。個々の内なる表現(創発の集合がまるで1つの大きな生き物のようなうねりを生みだします。

 

 

 

必要なもの

演奏にあたって最低限必要なものは体です。つまり無条件に存在するだけ、ただいてくれるだけで既に完璧です。人の体は楽器になりますから、声を使ったり手拍子をしたり足踏みをしたり、想像力があればどんな表現も可能です。





 

もちろん、ピアノ、ギター、太鼓、多様な地域の民族楽器なども用意できればより音楽的になるし盛り上がります。楽器がある人は持参しても良いでしょう。



 

 

 

更には、電子楽器のような機材があれば音色も増えます。かつ皆が端末でつながり、まるでシーケンサーやドラムマシンのような電子楽器の役割を果せば、それは今風の新鮮でかっこいい音楽表現になるでしょう。刺激も楽しさも倍増するでしょう。もしこれがオンラインの同時接続環境(例えばメタバース空間など)で行うことができるのなら世界中の人々が瞬時に共鳴することができるかも・・・と想像すると一層ワクワクします。

 

 

 

ちなみにマンダラオーケストラの演奏方法や演奏形態はシーケンサーやドラムマシンの機能や外観をイメージしています。



 

あとは体験で

マンダラオーケストラはまるで台風の目のようなもの。台風の目を指してもそこに台風は存在せず澄み切った青空が広がります。

言葉で「これ」と説明できないものがあります。言葉を超えた先に共鳴という体験が待っています。共同体感覚もそこで生まれます。何より音楽はライブがすべて。今この瞬間の体験。それは体全体で味わう「音の遊び」のようなものです。

 

ケンモクコウイチ

 

 

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